みんなやってるから!と言う人の心理って?マイノリティは悪いこと?

僕はLINEを使い始めたのが周りに比べて遅い方でした。

なぜかというと「タダで使えるなんて怪しい」とか「個人情報が保護されない」みたいな情報を前に見たことがあったからなんです。

正しい使い方や設定をしていれば大丈夫なはず・・

そんなわけで使っていなかったのですが、そのようなことを周りに言うと
「別に大丈夫でしょ」
「危なくないよ」
そしてかなりの高確率で言われるのが
みんなやってるから!」です。

でたっ!みんなやってるから!って感じなんですけど、これって大した根拠がないから「みんなやってるから」で自分のやっていることを正当化しているだけでしょ?って思うんです。

理由が「みんなやってるから」って納得できないんです。

 

テレビで芸能人がCMしてるし、みんなやってるし危ないわけないじゃん。なに言ってんの?って感じで完全にアウェイでした。

 

確かに使ってみれば便利だし楽だし重宝してます。
しかし
みんなやってる=善
みんなが言っている=善
なのは少し疑問に感じませんか?

 

そこで今回は、よく耳にする「みんなやってるから」という言葉の心理に迫っていきたいと思います。

みんなやってるから!の裏にある心理は社会的証明の原理

「みんなやってるから」ということによって
自分の行動は間違っていない。
正しい判断だ。

こう思うのは「周りの行動を見て、その行動が正しいのかを判断する」という心理が人間には備わっているからです。
これを社会的証明の原理といいます。

なんかわかりにくいこと言ってますが簡単にいうと多数決で決まっているんじゃない?ってことです。


意識してみるとこれって結構日常に潜んでいるんですよね。


グループで意見を出しあうときに自分だけ違う意見だと自分は間違っているのではないかと不安になりますよね。
仮に自分の意見が正しかったとしても周りの行動を見て、自分の行動を判断してしまいます。

確かに物事を多数決で決める場面というのはたくさんあるでしょうし、多数決がいけないと言っているわけではありません。
しかし場合によっては、明らかに自分の意見が正しくても「みんなが言っている方」が正しくなってしまうこともあると思うんです。

 

よく言われるのが「赤信号みんなで渡れば怖くない」ってやつです。
明らかに良くない事なのに、みんながやっているから大丈夫。みたいなノリになるんですよね。

小学生くらいの時にありませんでした?
親からは「絶対に赤信号は渡ってはいけない」と教わっているはずなのに「みんなやってるから大丈夫だよ。○○も来ちゃいなよ」みたいなこと。

そして、真面目に赤信号を待っていたら仲間外れにされちゃうみたいな。



テレビでも似たような現象があって、
「この食べ物は多くの方に愛されていて健康に良い食品です」みたいな放送がされるとスーパーからその食品が売切れたりしますよね。

「テレビでやっているし、みんなが買っているんだから良い商品に違いない」と感じるわけですね。

ただこれって良くない商品でも広まる可能性があると思いませんか?


そもそも「テレビはみんな見ているしテレビで流れている情報は正しい」というのが既に社会的証明なのではないかと思いますが・・



特に日本人は社会的証明の原理に影響されやすいみたいです。
というのも幼いころからそういった環境で育ってきたことが大きく影響しているのではないかと思います。

学校教育は社会的証明の原理が働いてる?

学校では常に周りと同じ行動をとるように教育されていますよね。

チャイムが鳴ったら一斉にみんなと同じ行動をとり、時間割が決められていてみんなと同じ勉強をする。

もしみんなと違う勉強をしていれば注意され、チャイムが鳴ったのに席に着かなければ叱られる対象になります。

みんなと同じ行動が善です。

学校なんだから当たり前だろって感じですけど、この教育の価値観が一生続くとなると恐ろしくないですか?

周りと同じ行動をして、先生(上司)の言うことは正しい。みたいな価値観は就職したあとも続きます。
決まった時間内は作業をして、決まった日に休む。
例外はありますが基本的にはそうですよね。

そう考えると幼い頃の教育って、会社に入ってから、自分の意見を押し殺して、我慢して、周りと同じ行動をする。それを美徳とする教育だともとれませんか?


けどこういった教育って今でも必要ですかね?

たしかに昔は物の無い時代で、物を作って経済を発展させる必要がありました。
そのため少数の資本家の下で働くたくさんの労働者が必要です。
みんなと同じ行動をする従順な人材が大量に必要です。

物が無ければ当然売れます。売れれば経済が回り労働者に還元され、
正社員=安定
みたいな構図が成り立っていたかもしれません。



しかし今って物や情報は溢れかえっています。

100円ショップとか似たようなものがたくさんあって「これ、いる?」って感じじゃないですか?
家電製品もおまけの機能をたくさんつけて頑張っていますよね。

けど売れない・・


もう必要最低限の物はそろっていて、大量生産の時代は終わったのではないでしょうか?

よく個人の時代と言われるのも、物が溢れ、娯楽が多様化したおかげでマス向けの需要が少なくなり、ニッチな需要が生まれ始めたからではないでしょうか?



義務教育を終え高校へ行く、良い会社へ就職するために良い大学へ行く、就職したら住宅ローンを組み、定年後は退職金と年金でゆっくり過ごす。というのが鉄板だと思います。多くの人が思っていることだと思います。

しかしこの流れが絶対に正しいと言うわけではなくて、大量生産を目的としたパラダイムともとれるのではないかと思います。

まとめ

「みんなやってるから」という言葉には
「周りの判断をもとに自分の行動を決める」
社会的証明の原理という心理が働いていました。

「みんなやっていること」から外れたことをやると認められないことも多いですが、社会的証明の原理が働くわけですから当然です。

しかしみんながやっているからといって必ずしも正しいとは限りません。
みんなやっていた常識と言われるものは時代によって変わることは大いにあります。

今はネットのインフラが異常なまでに発達して、今までの常識が崩壊しようとしています。


学校へ行かなくても正社員にならなくてもマイノリティでも今の時代選択肢は無数にあります。
むしろこういった経験が大きな価値になることだって十分あると思うんです。

 

 

 

最後までありがとうございました。

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